【2023最新】「邪馬台国」のおすすめ本!人気ランキング
- 「魏志倭人伝」の正しい解釈で邪馬台国論争遂に決着
- 邪馬台国を知る事典
- 邪馬台国と卑弥呼の事典
- 邪馬台国は存在しなかった (勉誠選書)
- 新訂 魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝: 中国正史日本伝 1 (岩波文庫)
- 魏志倭人伝の謎を解く - 三国志から見る邪馬台国 (中公新書)
- 邪馬台国は「朱の王国」だった (文春新書)
- 魏志倭人伝を読む〈上〉邪馬台国への道 (歴史文化ライブラリー)
- 正史 三国志〈4〉魏書 4 (ちくま学芸文庫)
- データサイエンスが解く邪馬台国 北部九州説はゆるがない (朝日新書)
考古学・古代史・東洋史の研究成果をもとに「邪馬台国はどこか」を知る基礎知識を解説した事典。索引付き。 東アジアの中の邪馬台国 「魏志倭人伝」がつたえる歴史 卑弥呼の支配と大和朝廷 邪馬台国の習俗 邪馬台国論争の歩み 考古学上の邪馬台国 邪馬台国時代前後の近畿 纒向遺跡 唐古・鍵遺跡 弥生時代の九州 吉野ケ里遺跡 考古学上からみた邪馬台国と東アジア 卑弥呼の古墳 卑弥呼の謎を求めて-三角縁神獣鏡の謎
謎に包まれた日本史上の離れ島、それが邪馬台国。なぜ魏と密接なつながりができたのか、誰が卑弥呼を擁立したのか…、忽然と消えた古代王国の謎を解く。気候・生活・文化・風習、そして当時の外交姿勢から導き出される鮮明な邪馬台国の姿。 第1章 東アジア史のなかの邪馬台国 第2章 邪馬台国にいたる長い道 第3章 邪馬台国の自然と生活 第4章 女王卑弥呼の祭祀と政治 第5章 出土品が語る卑弥呼の時代 第6章 邪馬台国の外交政策 第7章 邪馬台国をめぐる謎の数々 最終章 「魏志倭人伝」を読む
『魏志倭人伝』を疑う なぜ「卑弥呼」も「邪馬台国」も『魏志倭人伝』にしか登場しないのか? 作者・陳寿はどのようにして『魏志倭人伝』を書いたのか? なぜ「卑弥呼神社」は存在しないのか? 戦後最大の未解決問題に決着をつける! 第一章 学者はなぜ「邪馬台国」と「卑弥呼」の蔑称を好むのか 第二章 『魏志倭人伝』は『三国志』の中の「物語」 第三章 日本のあらゆる文献に一切登場しない卑弥呼 第四章 卑弥呼は天照大神や神功皇后の代わりであったか 第五章 卑弥呼神社が存在しないことの重要性
考古学調査と並び、邪馬台国論争の鍵を握るのが、「魏志倭人伝」(『三国志』東夷伝倭人の条)である。だが、『三国志』の世界観を理解せずに読み進めても、実像は遠のくばかりだ。なぜ倭人は入れ墨をしているのか、なぜ邪馬台国は中国の東南海上に描かれたのか、畿内と九州どちらにあったのか。『三国志』研究の第一人者が当時の国際情勢を踏まえて検証し、真の邪馬台国像に迫る。「魏志倭人伝」の全文と詳細な訳注を収録。 第1章 倭人伝と邪馬台国論争 第2章 倭人伝の執筆意図 第3章 倭国を取り巻く国際関係 第4章 理念の邪馬台国 第5章 邪馬台国の真実 附章 魏志倭人伝訳注
水銀と原料の朱は古代、大変な価値があった。その主産地は近畿と九州。邪馬台国論争や神話の解釈に新たな光をあてる「朱」の古代史。 古代日本は朱の輸出で繁栄した「朱の王国」だった。「朱」という視点で日本の神話と古代史を読みなおすと、目からウロコが!長年、続く邪馬台国論争に一石を投じる画期的な論考の誕生。日の丸、神社の鳥居や社殿、漆器、朱肉……と日本には朱色があふれており、この国のシンボルカラーといってもいいだろう。朱の成分は火山地帯で産出される硫化水銀。火山国の日本では赤みをおびた石や砂として全国のいたるところで採掘できた。朱は顔料・塗料として、防腐剤・防虫剤として、さらには不老不死をねがう薬品に欠かせない水銀の原料として、大変な価値をもっており、古代日本の重要な輸出品だった。朱の産地が集積しているのは九州・奈良・伊勢。そして神話、古代史には、これらの地が、いくどとなく登場する。・なぜ神武天皇は九州南部から近畿(奈良)へ向かったのか。・なぜ世界的にも巨大な墳墓(古墳)が奈良周辺で多く造られたのか。・邪馬台国の候補地は、なぜ奈良と九州が有力なのか。・なぜ八幡宮の総本社は大分県宇佐市にあるのか。・なぜ伊勢に国家的な神社が鎮座しているのか。・なぜ奈良・東大寺の「お水取り」は火祭りなのか。こうした疑問も「朱」を補助線にすると、定説とは異なる解が浮かび上がる。半世紀もの間、埋もれていた仮説を手がかりに、日本の古代を探る。
2‐3世紀の日本の歴史を探る、第一級の史料『魏志倭人伝』。倭人伝を正確に読み理解するために、史記・後漢書・宋書・旧唐書などの史料を博捜し、注解と解釈を加える。上巻は邪馬台国への道と倭人社会を中心に収録。 よく読まれている中国古代の史書 帯方から倭への道程(帯方東南大海の中の倭人 帯方郡から倭へ) 邪馬台国への道(末盧国から邪馬台国へ その余の旁国と狗奴国) 倭人の習俗と生態(入れ墨と服飾の風俗 倭の産物と倭人の習俗) 倭人の社会と支配の構造(卜占と会同坐起と法制 租税と交易と検察)
古代史最大のナゾである邪馬台国所在地はデータサイエンスの手法を使えば、北部九州で決着する。畿内ではありえない、その理由を古代鏡や鉄の矢じりなどの発掘地の統計学的分析を駆使しながら、誰にも分かりやすく解説。その所在地は北部九州のズバリここだと示す。さらに、三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)が魏の皇帝から卑弥呼が賜った鏡とする説を理論立てて否定し、なぜ今もって定説のように語られているかを解説する。第1章 データサイエンスとの出合い 探求60年の旅1私の研究歴 2「邪馬台国問題」は、なぜ解けないか 第2章 邪馬台国論争をデータサイエンスで解く そんなに難しい問題なのか1確率を計算する方法2法則を発見するという方法3「三角縁神獣鏡」問題補 章 「年号鏡」と「仏像鏡」の問題 素朴な判断が正しいとは限らない
学術書の緻密さ+謎解きのエンタテインメント。日韓歴史教科書の書換必至!「謎」「矛盾」を『後漢書』『晋書』との連立方程式で解決 学術書の緻密さ+謎解きのエンタテインメント 日・韓 歴史教科書の書き換え必至! 中国史書特有の「春秋の筆法」という記述原理を史料解読に適用、推理小説顔負けの謎解きの楽しみに富む。★『魏志』「倭人伝」だけでは解けない「謎」「矛盾」を『後漢書』『晋書』との連立方程式によって解決! その解とは↓ ①「邪馬台国」は女王を盟主とする九州北部三十国の総称で「七万余戸」だった。 ②「女王の都」とは「邪馬台国」ではなく「奴国」である。これは倭国の最南端に位置する。「大和説」に代表的な「南⇒東」という方位の読み替えは成り立たない。 ③従来から論争の焦点になっていた「万二千余里」(里数記事)と「水行十日陸行一月」(日数記事)の解釈。⇒「帯方郡(朝鮮半島)」から女王国への距離であることを論証。魏の「使節団」が目指したのは「伊都国」だった。なぜか⇒ ④「一大率」は最大の政治権力者であり「伊都国王」だったから。それは卑弥呼の弟だった。 ⑤卑弥呼は弟に殺されていた! 1 魏志の再発見へ…中国史書とその論理の特徴/孔子が書いたとされる春秋の筆法 2 中国史書の論理に学ぶ…『晋書』を解読すれば/『後漢書』を解読すれば 3 『魏志』里程記事を読む…道里記事と極南の国 4 3世紀の実相…帯方郡より倭国へ/女王の周辺 5 一大率と伊都国王について…伊都国王が最大の権力者では 6 東アジアの中の倭国…卑弥呼の死 ほか
大和(畿内)か九州か。邪馬台国をめぐる論争は、日本史のみならず東洋史・考古学・文化人類学などの学界にも波及して、この百年、絶えることなく続けられてきた。現在も決着はついていない。「本国中心主義」批判の観点から大和説を主張した内藤湖南を中心に、知られざる逸話を織り交ぜて論争史をたどり、その行方を展望する。 第1章 一〇〇年前の邪馬台国論-久米邦武と喜田貞吉 第2章 本格的論争の開始-内藤湖南と白鳥庫吉 第3章 論争の展開-内藤湖南と橋本増吉 第4章 文献考証から考古学的研究へ-富岡謙蔵と梅原末治 第5章 大和説の盛行と古鏡論争-笠井新也と小林行雄 第6章 邪馬台国をめぐる国家論と三角縁神獣鏡論争-末松保和と井上光貞
本書の著者は、纒向遺跡、箸墓古墳など多くの大和地域の発掘・調査に携わってきた。そんな著者が出した結論は、「邪馬台国の存在を… 本書の著者は、長年、纒向遺跡をはじめ、箸墓古墳など多くの大和地域の発掘・調査に携わってきた。 そんな著者が出した結論は、「邪馬台国の存在を大和地域に認めることは出来ない」 数々の史跡、… 果たして、邪馬台国は「大和」にあったのか?! 古代史の中でも、特に謎が多い「邪馬台国」。 邪馬台国については、江戸時代以降主な候補地として「九州説」、「大和・畿内説」があげられる。昨今では、「大和・畿内説」が有利とみられている。 「大和・畿内説」で中心として考えられるのが、纒向遺跡、箸墓古墳である。 本書の著者は、長年、纒向遺跡をはじめ、箸墓古墳など多くの大和地域の発掘・調査に携わってきた。 そんな著者が出した結論は、「邪馬台国の存在を大和地域に認めることは出来ない」 数々の史跡、遺跡を発掘してきた著者が語る本当の「邪馬台国大和説」。 第Ⅰ章 邪馬台国と大和の考古学 第Ⅱ章 大和地域の弥生時代遺跡 第Ⅲ章 纒向遺跡の実態 第Ⅳ章 大和地方の遺跡動向と邪馬台国 第Ⅴ章 箸墓古墳と邪馬台国 第Ⅵ章 箸墓古墳と古墳出現年代 第Ⅶ章 考古学が示す邪馬台国大和説の不成立 第Ⅷ章 邪馬台国の位置と今後の行方
日本史最大の謎=邪馬台国、倭女王卑弥呼の都はどこに存在したのか。さまざまな解釈を生む魏志倭人伝を、徹底した史料批判を通して問題点を整理する。中国史における倭人伝の位置や東アジア世界の情勢を踏まえ、倭の国々や三角縁神獣鏡を解明。九州と大和を代表する吉野ヶ里・纒向遺跡の都市的集落を分析し、混迷する論争に新たな指針を提示する。 1 邪馬台国とその時代-総論 2 倭人の登場と東アジア 3 二・三世紀の東アジア世界 4 考古学からみた「倭国乱」-弥生後〜末期の社会状況 5 東洋学からみた『魏志』倭人伝 6 考古学からみた邪馬台国 7 邪馬台国を探る二つの遺跡 8 倭の実態 9 東アジア世界の変貌とヤマト王権