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【2024年】「中村哲」のおすすめ 本 9選!人気ランキング

この記事では、「中村哲」のおすすめ 本 をランキング形式で紹介していきます。インターネット上の口コミや評判をベースに集計し独自のスコアでランク付けしています。
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目次
  1. 天、共に在り アフガニスタン三十年の闘い
  2. 中村哲という希望――日本国憲法を実行した男
  3. アフガニスタンの診療所から (ちくま文庫)
  4. 学習まんが 世界の伝記NEXT 中村哲 (集英社版・学習まんが 世界の伝記NEXT)
  5. 大地をうるおし平和につくした医師 中村哲物語
  6. 希望の一滴 中村哲、アフガン最期の言葉
  7. 中村哲 思索と行動 ――「ペシャワール会報」現地活動報告集成[上]1983〜2001
  8. わたしは「セロ弾きのゴーシュ」 中村哲が本当に伝えたかったこと
  9. 人は愛するに足り,真心は信ずるに足る: アフガンとの約束 (岩波現代文庫 社会 328)
No.1
100
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No.2
69
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No.3
69

戦争、宗教対立、難民。アフガニスタン、パキスタンでハンセン病治療、農村医療に力を尽くす医師と支援団体の活動。解説 阿部謹也 幾度も戦乱の地となり、貧困、内乱、難民、人口・環境問題、宗教対立等に悩むアフガニスタンとパキスタンで、ハンセン病治療に全力を尽くす中村医師。氏と支援団体による現地に根ざした実践から、真の国際協力のあり方が見えてくる。テロをなくすために。戦乱の地での医師の実践。 解説=阿部謹也 「アフガニスタンと日本」 今、内外を見渡すと、信ずべき既成の「正義」や「進歩」に対する信頼が失われ、出口のない閉塞感や絶望に覆われているように思える。十年前、漠然と予感していた「世界的破局の始まり」が現実のものとして感ぜられ、一つの時代の終焉の時を、私たちは生きているように思えてならない。 強調したかったのは、人が人である限り、失ってはならぬものを守る限り、破局を恐れて「不安の運動」に惑わされる必要はないということである。人が守らねばならぬものは、そう多くはない。そして、人間の希望は観念の中で捏造できるものではない。本書が少しでもこの事実を伝えうるなら、幸いである。 (「文庫版あとがき」より) 「本書によって私たちはアフガニスタンの状況だけでなく、私たち自身の姿を見ることが出来るだろう。」――阿部謹也 (「解説」より) 帰郷―カイバル峠にて 縁―アフガニスタンとのかかわり アフガニスタン―闘争の歴史と風土 人びととともに―らい病棟の改善と患者たちとのふれあい 戦乱の中で―「アフガニスタン計画」の発足 希望を求めて―アフガニスタン国内活動へ 平和を力へ―ダラエ・ヌール診療所 支援の輪の静かな拡大―協力者たちの苦闘 そして日本は…

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No.5
67
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No.6
67

中村哲 一周忌追悼。飽食・不寛容・気候変動。この世を生きる日本人が読むべき1冊。 全国学校図書館協議会 2021年 第54回「夏休みの本(緑陰図書)」選定 ※中学校向け (公社)読書推進運動協議会 2021年「敬老の日読書のすすめ」選定 (公社)読書推進運動協議会 2022年「若い人に贈る読書のすすめ」選定 中村哲 一周忌追悼。 飽食・不寛容・気候変動。 この世を生きる日本人が読むべき1冊。 アフガンの暮らし・自然を感じる写真をふんだんに掲載。オールカラー。 アフガニスタンで凶弾に倒れた中村哲医師の絶筆を収録。 沙漠化した大地に緑をよみがえらせた記録と、豊かな日本の 私たちに生き方を問 う 言葉が綴られる。 干ばつと戦乱で荒廃したアフガニスタンの復興支援に力を尽くしていた 中村哲医師が、現地で凶弾に倒れたのは 2019 年 12 月 4 日。 本著は、死の2日前の西日本新聞朝刊に掲載された原稿を含め、 2009 年から続く寄稿連載「アフガンの地で」を再編集したものです。 銃撃事件2日前の掲載原稿を収録! 「見捨てられた小世界で心温まる絆を見いだす意味を問い、近代化のさらに彼方を見つめる」 -2019年12月2日朝刊より- 1P 口絵 27P 第一部 最期の言葉 71P 第二部 73年の歩み 85P 第三部 農村復興への道のり 157P 第四部 水のよもやま話 186P 中村哲医師が歩んだ道を私たちも歩む ペシャワール会会長 村上優

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No.7
67

1984年、パキスタンの古都ペシャワールの病院に赴任した中村哲医師。ソ連軍撤退と国際援助ラッシュの狂騒を尻目に内戦下のアフガン、そしてパキスタン最奥部の無医村へ。日本の支援者に向けて送られた37年間の活動報告集 病・貧富・戦乱… 世界の不条理に挑む 長い旅が始まった。 1984年、パキスタン北西部の古都ペシャワールのハンセン病院に赴任した中村哲医師。ソ連軍撤退と国際援助ラッシュの狂騒を尻目に、内戦下のアフガン、そしてパキスタン最奥部の無医村へ。寄る辺なき患者達に希望の灯を届けるべく苦闘し続けた実践の軌跡。 ※中村哲医師から日本の支援者に向けて送られた37年間の活動報告を集めた決定版!(上下巻/下巻は’24年春刊) ●準備号(1983)  ご挨拶 ●1号(1983・12)  ペシャワール会会員の皆様へ! ロンドンより ●2号(1984・4)  リヴァプールより ご批判にこたえて ●3号(1984・5)  ペシャワール通信⑴ ●4号(1984・12)  ペシャワール通信⑵  ペシャワール通信⑶  JOCS「祈りの手紙」(二〇号、二一号)より ●5号(1985・3)  ペシャワール通信⑷  パキスタンあれこれ ●7号(1985・10)  ペシャワール通信⑹  ペシャワールから見た日本  ライとは  どうして靴が大切か ●8号(1986・5)  ついに完成! ワークショップ  ペシャワール通信⑺  JOCS「祈りの手紙」(二五号)より ●補(1986・5)  JOCSパキスタン・プロジェクト 一九八五年度活動報告 ●10号(1986・12)  ペシャワール通信⑻ 韓国・麗水よりの手紙  らい病棟での小さなできごと 故郷 ●11号(1987・3)  ペシャワール通信⑼  ひとつの事故から ●12号(1987・7)  JOCSパキスタン・プロジェクト 一九八六年度活動報告 ●13号(1987・10)  ◎ペシャワール通信⑽ 小さな二都物語 カブールとペシャワールの間で ●15号(1988・4)  歴史の中、常に抗争の舞台に ●16号(1988・7)  流動する内外の状況 JOCSパキスタン・プロジェクト一九八七年度活動報告 ●17号(1988・10)  ◎中村哲医師帰国報告―第6回総会 難民問題とさまよえる豪華客船日本丸 ●18号(1989・2)  近代という迷信の中で ●19号(1989・5)    ◎ペシャワールからの便り アフガン人チームの育成とてんかん診療の準備中です。  アフガニスタン復興のための農村医療計画(Ⅰ) ●20号(1989・7)  遠い将来を見越して種まきが始まった JOCSパキスタン・プロジェクト一九八八年度活動報告  アフガニスタン復興のための農村医療計画(Ⅱ) ●21号(1989・10)    ◎ペシャワールからの手紙 我々の種蒔きの仕事は何十年でも続くでしょう ●22号(1989・12)  あるパシュトゥン患者の死  私も若いのでJAMSと共に頑張っていきます  我が家の小さな論争 ●23号(1990・4)  主役は我々でなく現地の人々だということを原点に ●24号(1990・7)  我々は自分の出発点にくりかえし立ち返らねばならない 一九八九年度ペシャワール活動報告  日本は今、海外協力における試行錯誤の時期   われもと雲の性なれば ●25号(1990・10)  ペシャワールの風土と会の現地活動の軌跡⑴ ●26号(1990・12)  小さいながらも我々の努力は充分報われつつあります  ペシャワールの風土と会の現地活動の軌跡⑵ ●27号(1991・4)  ある葬送 屈折した気持ちを抱いて  ◎ペシャワール便り 信頼厚く和気あいあいと  イスラム住民に無理解な日本 ●28号(1991・7)  氷河の流れのように 一九九〇年度を振り返って  ジハド あるゲリラ兵士の変貌 ●29号(1991・11)  変貌 らい病棟の女たち ⑴ ●30号(1991・12)  変貌 らい病棟の女たち ⑵ ●31号(1992・5)  変貌 らい病棟の女たち(完)  故 佐藤雄二君(ペシャワール会事務局長)を懐う ●32号(1992・7)  国際協力・天動説から地動説へ 一九九一年度を振り返って  ダラエ・ヌールヘの道⑴ 国境越え ●33号(1992・11)  ダラエ・ヌールヘの道⑵ 戦火の果て  三無主義 ●34号(1992・12)  ダラエ・ヌールヘの道(完) 国内診療所開設 ●35号(1993・4)  見捨てられるアフガン民衆 カブール九二年十一月 ●36号(1993・7)  時代に迎合せぬ不動の石でありたい ペシャワール会十年の歩み  カブールの権力闘争よそに地方に平和、田園は緑に 一九九二年度を振り返って ●37号(1993・11)  居場所を忘れたニワトリ ある難民の心象風景 ●38号(1993・12)  ダラエ・ヌール周辺で悪性マラリア大流行  最悪の事態回避 持続的支援を!  ヌーリスタンの渓谷 Ⅰ インダルの園⑴ ●39号(1994・4)  ゆれるアフガン ゆるがぬJAMS  マラリア禍を脱す 二万人近い患者が治癒 ●40号(1994・7)  暗きにこそ灯を、騒乱にこそ平和を 一九九三年度を振り返って  ヌーリスタンの渓谷 Ⅱ インダルの園⑵ ●41号(1994・10)  ヌーリスタンの渓谷 Ⅲ ケララ村の惨劇 生きる者驕るなかれ ●42号(1994・12)  光に向かって我が身を放り投げる 自前のらいプロジェクト発足 ●43号(1995・4)  ◎ペシャワールからの手紙 久々にすがすがしい気分です。  ◎アフガニスタン難民帰還後のマラリア流行の実情 ’94年のフィールドワークの成果が顕著に現れる ●44号(1995・7)  繰り返し出発点に戻る PLSが発足し現地基地として強固に  ◎ペシャワールからの手紙 着実に根を下ろすPLS ●45号(1995・11)  ◎ペシャワールからの手紙 戦雲の中、プロジェクトは一段と充実 ●46号(1995・12)  生と死 パミールの山奥で ●47号(1996・4)  新病院=治療センターの建設を!! 二年以内の診療開始がリミット ●48号(1996・6)    世の虚構に対し黙して事業継続  最大課題はハンセン病院建設 ●49号(1996・10)  ハンセン病の真実と偽り 今、なぜ「らい」なのか ●50号(1996・12)  貧しさの中の豊かさ 華やかな日本の師走に思う ●51号(1997・4)  戦乱に希望を、敵意を宥和に ●52号(1997・7)  慰めと希望を共に分かつ事業を 新病院は来春開院式 ●53号(1997・11)  混乱の中に芽生える希望 新病院建設に思う ●54号(1997・12)  新病院建設と新たな態勢 人間の悪と良心の彼方にむけて ●55号(1998・4)  対立と平和 次期三〇年をめざして ●56号(1998・7)  対立越える不動の基地を 現地活動は新たな時代に ●57号(1998・10)  ◎新病院への移転を目前に控えて 不安のはびこる世なればこそ確固たる実事業を ●58号(1998・12)  ◎新病院への移転を終えて 世の様々な不安をよそに、現地事業は撥剌と継続 ●59号(1999・4)  ◎コーヒスタン進出も順調 やっとゆとりが出てきました ●60号(1999・6)  人間の弱さと強さの中から 十五年の軌跡を振り返りつつ ●61号(1999・10)  ◎外国団体経営の医療施設の相次ぐ閉鎖のなかで 貧困層患者の増加に備え、規律を徹底 ●62号(1999・12)  ◎虚構が真実を制する時代に 異文化の壁越える強固な基盤を ●63号(2000・4)  挑戦 嫉妬・怨恨・陰謀・邪推の渦巻く中で ●64号(2000・7)  虚構でなく事実を、不安でなく希望を ●65号(2000・10)  飲料水を確保し、「終末」に対峙せよ 目標水源七 〇〇、現在一五〇カ所で着手 ●66号(2000・12)  ◎アフガン大旱魃 医者井戸を掘る  人知を超えた闘いに挑む ●67号(2001・4)  あえてカブールへ 暴を以て報いず ●68号(2001・7)  虚飾はびこる世界に〈現実の格闘〉を以て抗す ●69号(2001・10)  私たちは帰ってきます 「アフガンいのちの基金」にご協力を!  新たな難民をつくらないために ●70号(2001・12)  ◎首都カーブル貧困層十万人に緊急食糧配布 はびこる虚構の影で 事業は総力をあげて継続

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