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【2024年】「アウシュヴィッツ」のおすすめ 本 6選!人気ランキング

この記事では、「アウシュヴィッツ」のおすすめ 本 をランキング形式で紹介していきます。インターネット上の口コミや評判をベースに集計し独自のスコアでランク付けしています。
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目次
  1. アウシュヴィッツの小さな姉妹
  2. アウシュヴィッツのタトゥー係
  3. 完全版 マウス――アウシュヴィッツを生きのびた父親の物語 (フェニックスシリーズ)
  4. アウシュヴィッツの地獄に生きて (朝日文庫)
  5. アウシュヴィッツへの道―ホロコーストはなぜ、いつから、どこで、どのように (横浜市立大学新叢書13)
  6. アウシュヴィッツ潜入記
No.1
100

アウシュヴィッツの小さな姉妹

タチアナ&アンドラ・ブッチ
アストラハウス

アウシュヴィッツを生き延びた6歳と4歳の小さな姉妹が見たアウシュヴィッツと戦争が家族にもたらす悲劇の物語。 ヨーロッパ全土から21万6千人の子どもがアウシュヴィッツに移送されたが、解放時に生き残ることができたのは451人。アウシュヴィッツを生き延びた6歳と4歳の小さな姉妹が見たアウシュヴィッツと戦争が家族にもたらす… 「生き延びたブッチ母娘の記録は、アウシュヴィッツで起きた出来事を次の世代に伝えるための力強い貴重な証言です」 ――ホロコースト記念館 館長 吉田明生 「ブッチ姉妹がアウシュヴィッツで経験したことが、6歳と4歳だった当時の目線で、等身大に書かれています。戦後の自伝物には、あとづけの知識で書かれたものが見受けられますが、本書は子どもの視点で当時の状況をリアルに記述しています。それがこの本の魅力でもあります」 ――ホロコースト記念館 学芸員 今井市郎 「家族の記憶、アウシュヴィッツへの強制送還、いとこの死、解放、アンナ・フロイトのイギリス・ロンドンのリングフィールド・ハウス寄宿学校、そして証言。この本の中には、生きた言葉、勇気、夢、そして今でも多くの人の頭から離れない悪夢を通して、ブッチ姉妹の物語が描かれています」 ――イタリア最大部数の日刊紙「ラ・レプッブリカ」2019年1月15日 「アウシュヴィッツに収容された23万人の子どもたちのうち、生き残ったのはわずか700人だった。その中には、4歳と6歳のアンドラとタチアナ・ブッチの姿もあった。彼らの物語は本になり、1月27日の国際ホロコースト記念日に出版される予定です。この本は、どんな悲劇を目にしても『泣かなかった』2人の子どもの目を通して、ホロコーストの真実を語ります」 ――「ELLEイタリア版」2019年1月17日 「アウシュヴィッツから帰還した少女、アンドラとタチアナ。リエカ出身のブッチ姉妹は、収容所の恐怖を体験し、今ではその記憶と証言の義務を守り続けています」 ――イタリア・トリエステの日刊紙「イル・ピッコロ」2019年1月21日 「アウシュヴィッツの不条理で常に死と隣り合わせの恐ろしい日常に浸りきり、受け入れることで、私たちは生き延びようとしたのです。」 ――タチアナ&アンドラ・ブッチ ヨーロッパ全土から21万6千人の子どもがアウシュヴィッツに移送されたが、解放時に生き残ることができたのは451人。本書は、アウシュヴィッツを生き延びた6歳と4歳の小さな姉妹が見たアウシュヴィッツと戦争が家族にもたらす悲劇の物語。 (※アウシュヴィッツへ送られた子どもの人数と解放時の生存者の人数の出典:Holocaust Encyclopedia, USHMM) なぜ、6歳と4歳の小さな姉妹は、人体実験の犠牲にならずにアウシュヴィッツ絶滅収容所を生き延びたのか? 1944年3月28日夜、リエカに住むイタリア系ユダヤ人の6歳の姉タチアナと4歳の妹アンドラは家族とともにナチスに逮捕され、翌29日、アウシュヴィッツ・ビルケナウ絶滅収容所へ向けて移送された。1944年4月4日、アウシュヴィッツに到着したタチアナとアンドラは、いとこのセルジオとともに最初の選別をくぐり抜け、子ども用バラック「キンダーブロック」に収容される。そのバラックに入れられた子どもたちは、ナチスによる人体医学実験のモルモットになる運命だったが、奇跡的に生き延び、1945年1月27日に解放を迎える。 解放後、姉妹は戦争孤児としてチェコスロバキア・プラハ、イギリス・ロンドンへと渡り、1946年、収容所で別れ別れになった両親とイタリアで再会する。しかし、姉妹のアウシュヴィッツはまだ終わらない。 「目次」 日本の読者のみなさんへ──タチアナ&アンドラ・ブッチ おもな家族の年表 私たち姉妹のファミリーヒストリー ロシアからリエカへ 安住の地を求めて 祖母ローザとオーストラリア・ハンガリー帝国のリエカ 父ジョバンニとその家族 人種法、そしてアウシュヴィッツへ リエカでの子ども時代(1938年から1944年) 1938年 すべては人種法から始まった 1943年 イタリア敗戦とナチスの支配 1944年3月 逮捕 リジエラの中継収容所 1944年4月 アウシュヴィッツ・ビルケナウへ アウシュヴィッツ──死があたりまえの日常 1944年4月4日 アウシュヴィッツに到着 選別 登録 なぜ私たちは選別をくぐり抜けたのか 収容所での最初の夜 収容所の記憶 バラックの子どもたち 死の記憶 女性棟の冷酷なプロコーヴァ アウシュヴィッツの病院での出来事 バカンス中の死体 収容所内での母 1944年11月 セルジオ運命の日 子どもたちへの人体実験 1945年1月27日 解放 帰国への長い道のり 1945年春 プラハ 初めての小学校 プラハの思い出 1946年4月 イギリスへ リングフィールド・ハウス アリス・ゴールドバーガーさんとアンナ・フロイトさん おもちゃだらけの部屋 リングフィールド・ハウスの子どもたち リングフィールドでの毎日 1978年の再会 1946年秋 うれしい知らせ 母ミラと伯母ジゼッラの解放 1946年12月4日 イギリスを離れる ローマ到着 帰国、家族が一緒になる 2年ぶりの母との再会 トリエステへ、待ちに待った父との再会 1947年1月 再びリエカへ 戦後のリエカ 1947年春 家族の新生活が始まる マリアおばあちゃん 1947年2月 イタリアの小学校へ 父、再び海へ 新しい家 ティーンエージャーになった私たち ジゼッラ伯母さんと息子のマリオ アウシュヴィッツのことは口にしない 母ミラとアウシュヴィッツ 変わる宗教観 父ジョバンニと母ミラの晩年 タチアナの新たな人生 夫、ジャンフランコ アウシュヴィッツのことを息子たちに語りだす アンドラの新たな人生 夫、アルナルド 早すぎる夫の死 娘、ミラ・タチアナとソーニャ アウシュヴィッツのことを娘たちに話す アウシュヴィッツの真実を話し始める 1978年 サラ・モスコヴィッツさんとのインタビュー 1995年 解放から50年目にして、やっと人前で語り始める すっかり変わったリジエラの姿 1996年4月 再びアウシュヴィッツへ アウシュヴィッツへの《記憶をつなぐ旅》 アウシュヴィッツといまの若者たち ホロコーストはドイツ人だけの責任ではない なぜアウシュヴィッツの悲劇を伝えるのか 再びホロコーストを起こさないために 解説 アウシュヴィッツ──ホロコースト記念館 館長 吉田明生     ナチスによるホロコースト──ホロコースト記念館 学芸員 今井市郎 訳注 アウシュヴィッツ・ビルケナウ関連年表

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No.2
100
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No.3
80
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No.4
79
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家族の苦しさや、アウシュヴィッツ強制収容所にいた人たちの思いなどが、この1冊に詰め込まれており、とても現実で起こったとは思えない体験談でした。また、収容されてる人だけではなく、ナチス側の人の感情。これまでのユダヤ人への差別、色々なひとの思いが詰まっており、読み応えのある本でした。今でも起きている、人種差別がいかにも、起こしては行けないこと。というのを教えてくれる、人生に置いてもとても学ぶことができる1冊だなと思いました。
No.6
77

アウシュヴィッツ潜入記

ヴィトルト・ピレツキ
みすず書房
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